ジョバンニ中島の それでも生きていこうか

うまく生きては来られなかった。馬鹿はやったけれど、ズルいことはしなかった。まだしばらくの間、残された時間がある。希望を抱けるような有様ではないが、それでも生きていこうか。

青みがかった暗がりの中、つくりものの星空が瞬いている。

「さわっていいよ」

女はくすりと笑って、並んで座った私の手を自分の太ももにのせた。効かせすぎの空調のせいで、タイトスカートからのびる素のままの肌はひんやりと冷たかった。

飲み屋の女の割には、華やかさのない女だと思っていた。愛想笑いが下手だし、受け答えも生真面目すぎる。でもそんなところが、私は好きだった。

「田舎にね、蛍が見れる川があった」 

天井を見上げる横顔を初めて、私は美しいと思った。

「なつかしいなあ」

彼女の名はまどかといった。東北の震災で失った物事はいくつかあるが、彼女はそのうちのひとつだ。

 

S市で働いていた30代半ば、私はサラリーマンとしては充実した日々を送っていたと思う。良い出会い、良い巡り合わせに恵まれた。それに尽きる。で、自分なりにそういった幸運には、恩返しをする事に決めていた。

自分一人でやれることには限界があるのだから、部下を使う。いい部下は私の株を上げてくれる。株が上がれば報酬が増える。世話になった上司の入れ知恵もあったのだが、私は賞与として貰った分は部下との付き合いに充てることにした。とにかく飲み食いをさせた。私も嫌いではないから、惜しいとは思わなかった。

いつだったか取引先の若手も含めて結構な人数で飲み歩いていた時に、たまたま入ったのが、まどかのいる店だった。

「本日は当店にようこそおいで下さいました。わたくし店長を務めさせていただいております、まどかと申します」

いわゆるキャバクラ。通りすがりに呼び込みに引っかかった店で、席に着くなり強ばった表情でそんな仰々しい挨拶をしてきたのが、まどかだった。部下の誰かが、私がスポンサーだとか何とかふざけて言ったのだ。

「今後ともぜひご贔屓に」

怖いものでも見るような顔でまどかはそう言ったのだが、果たしてその通りになった。

それから2年ほどの間だろうか、飲み歩いた最後はまどかの店でというのがお決まりのパターンになった。彼女以外の店の女性たちは普通の夜の女たちで、一緒に行く部下たちはそれなりに楽しんでいた。

私の隣の席にはいつもまどかが座る。彼女は話が上手くないし、私も仕事以外ではあまり喋る方ではない。私が飲むと、彼女が黙ってハンカチでグラスを拭く。飲むとまた、グラスを拭く。そんな事が何百回…。

 

私は独りで飲むなら焼き鳥屋で十分で、高い飲み屋に行くことはほとんどない。だけど一度だけ、ほんの気まぐれでまどかの店に寄ってみたことがある。

独りで店に入った私を見つけたまどかは、黒服の店員に店長らしく何事かテキパキと指示すると、私を店の奥にある個室に導いた。

「今日は暇で」

だだっ広い個室に通されて驚いている私に言い訳するように、まどかは言った。

「中島さん、やっと一人で来たから。サービスよ」

俗にVIPルームといわれる部屋だったんだろう。小型のプラネタリウムが設置されていた。まどかが楕円形のガラステーブルにあるスイッチに触れると、私たちの頭上につくりものの星空が現れた。

 

震災で、まどかのいた店は無くなってしまった。彼女との連絡は途絶えたが、心配はしていなかった。飲み屋の店長をするほどの女だ。逞しく生き延びているに違いないのだから。

 

まどかが被災して亡くなったと聞いたのは、震災から3か月ほど、後のことだった。